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幡羅遺跡とは深谷市では、平成13年度から幡羅(はら)遺跡の範囲内容確認調査を行っています。これまでの成果から、この遺跡が古代幡羅郡役所跡であることが明らかになっています。役所のあった時代は、7世紀後半(大化の改新の少し後)〜10世紀前半(平将門の乱が起きた頃)までと考えられます。つまり、約250年にわたってこの場所に役所があったことになります。 |
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それぞれの地域の中心であった古代郡役所は、日本全国に約600ヶ所あったと思われます。埼玉県を含む武蔵国は21郡あり、それと同数程度の役所があったはずですが、これまでに発見されているのは5ヶ所に過ぎません。埼玉県内では、隣の岡部町にある中宿遺跡と、深谷市の幡羅遺跡だけです。 |
(上)幡羅遺跡周辺を上空から |
また、遺跡のすぐ東、熊谷市側には、湧水地点で祭祀が行われていた跡の西別府祭祀遺跡、幡羅郡の郡司などが造営した古代寺院跡の西別府廃寺という2つの遺跡があります。幡羅遺跡はこれらと一体として捉えることで、その重要性が際立ってくるのです。 |
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幡羅遺跡推定図※平成17年1月現在のもので、今後の調査によって変更が考えられます。 |